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どこかで拾ってきた、アタリマエなことを、自分なりに考えてみる場所。
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ゴガツ
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非公開
職業:
家守
自己紹介:
野望達成のため、雑感をまとめる修行中。
プロフィール画像は看板狸の「あた坊」くん。

【野望達成のために・その他】
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を活用しております。
リンクから過去作品にドウゾ。
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2024年12月29日 (Sun)
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2013年06月06日 (Thu)
「疑わない」という怠惰について - 24時間残念営業

Twitterで拡散されてきた、こちらの記事を拝読させていただきました。
某大企業の社長さんが公的に発言したことについて、
個人経営者の店長さん(?)のレスポンスです。

読み終わったら、ぼろぼろ泣いていました。
元記事のように、社会とか政治とか企業とか経営とか、そんな大きな視野ではなく、あくまでもごくごく小さな、自分自身のことを考えていました。

涙ダバァしちゃった記念に、この一人の店長さんの記事を読んだ自分が、
何を思ったかをまとめておこうと思います。


……早い話が、自分語りモドキなので、
てめぇの都合なんか知るかよ、という人はスルー推奨です。

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私の考え方は、根本的にポジティブ思考です。
単純な性格で、マイナスな発言は意図して避けるように心がけ、
許容範囲内ならどこまででも突っ走る馬力を持っています。
一見すれば、前述した記事で呼ばれている、いわゆる「頑丈な人」タイプです。

ただ、まあこの世の大勢の人と同様に
「頭の先から爪の先まで頑丈です!」というわけでもなく、
一方で、「そうではない人」としての自分も、もちろんいるわけです。

(※わかりやすいので、今後この2つを別々のもののように述べていきますが、
  これは「オイラ二重人格だぜHAHAHA」とかそういう中二病的意味ではなく、
  自らの二面性に対する比喩です。念のため)

さて、「そうではない人」としての私には、たくさんの「できない」があります。
その「できない」ことの1つとして、
「『駄目だ』と認識してしまったり、大きくショックを受けたりしたものは、
 総じて、心身が受け付けなくなる」
というものがあります。
現実のことだけでなく、フィクションの題材として扱われているものでもです。
例えば、浮気、不倫、暴力、崩壊する家族関係など。
(私はそれらを「アレルギー」と表現しています)
それらを観ていると、平静さを失い、とても物語を楽しむどころではなくなります。
そのため、自然と、それを題材にしているだろう作品は、避けるようになりました。


そして、私は、自分のそういうところが、たまらなく嫌いです。


創作活動を、己のアイデンティティを担うものとして認識している私にとって、
「観賞できないものがある」
ということは、大きなコンプレックスです。

もちろん、そういったものを「趣味」として楽しんでいるひとたちは、
自分が楽しいと思うものを存分に選べば良いと思います。
いわゆる娯楽としてそういったものを消費しているならば、何もおかしくないです。
美味しいオヤツをわざわざ我慢する必要はありません。
お菓子だけに。

でも、私はそれを、ただの趣味として終わらせたくないと願っています。
ヒヨッコどころかタマゴになっているかどうかも怪しい、今の自分。
創作を志す人間が、成長していくために必要なこと。
多くの方は、
「少しでも多種多様な作品に触れ、そこから学べることを吸収していくこと」
を、そのうちのひとつに挙げるでしょう。
発信する側として、酸いも甘いも噛み分けて、自分の手札を増やしていかなければ。
先人たちの遺産を選り好みできるほど、私の器は成熟していないでしょう。


しかし、アレルギーと化してしまった題材の作品に触れると
視聴中に身体は震えるわ、
気分は悪くなってくるわ、
良くて数時間、長くて数日はダウンするわ。
1作品吸収することに消費されるMPの量が半端無いんです。
どんなに「自分に対して有用だ」とわかっていても、心身が受け付けない。

ダウンしていながらも、日常生活を問題なく送ることが出来れば、まだ良いでしょう。
しかし、「ダウン」と評するくらいですから、MPが限界を迎えています。
外出もロクにできない状況を考えていただければ、わかりやすいかと。
たかだかそれだけのことで、と思われるかもしれませんが、
とにかく、無理をすると日常生活に差し障りがでると考えて下さい。

自分が摂取したもので、基本的な人間としての生活が送れなくなったら、
「創作は俺のアイデンティティ(キリッ)」
等と言っている場合じゃありませんよね。どう見ても。
それらの状況を踏まえた「頑丈な人」である私は、
「そうではない」私が選り好みをすることを、容認せざるを得ません。

しかし、「頑丈」である私が、
一度「最善である」と判断したものを、推奨し、提唱し続けることは変わりません。

「頑丈な人」である私は、
あの大手企業社長さんが言う、
「12時間メシ食わないで働け」的なアクションを
「そうではない」自分に求めて続けています。

正しい行動だと思っているから。

そして実行出来ない自分へ対する嫌悪感は、収まりません。

例の1つとして挙げましたが、これに限った話ではありません。
「これがいい、これが最善の行動だ。」
と、自分で合格点と思える行動を設定してしまうと、
その後は、それを実行できなかった自身を罵り続けます。
頭固いっていうか、自分を把握しきれてないんでしょうね。
自分のことなのに、事情が眼中にないというわけです。


今回の記事は、そうやって飽きもせず自分を苛み続けている私にとって、
まさに目からウロコの内容でした。
「頑丈な人」が、そうやって言うなんて。
ご自身で「頑丈」であるとおっしゃられている店長さんが、
そうやって理解を示すことができるのは、きっと良いご縁が合ったのだと思います。
記事内でもこの店長さんは述べられていますが、
「頑丈な人」は「そうではない人」の感覚を許容することは難しいです。
わからないんです、理解できないんです。
もともと数学が得意な人は、掛け算に苦戦する子供がわからないでしょう。

でも、それがどんなに効率よく効果が見込まれる方法であろうとも、
実行できないことに支配されていることが、建設的だとは思えませんよね。
無理やり二桁の掛け算を百問二百問させ続けることも有効だと思いますが、
もっと基本な、九九の復習や足し算から、今一度教えてあげることも大事ですよね。

時間も手間もかかりますが、
個人にあったプランを、考えていく方が、よっぽど堅実だと思います。


あくまでも、とっても単純に、この記事を捉えた結果の感想です。
これが利益やら、支出がどうやら、もっと複雑でややこしい事情が加味されたら、
こんな悠長なことを言ってる場合じゃなくなるのかもしれませんね。
でも、世に蔓延る「頑丈な人」の言葉に押しつぶされそうになっている
「そうではない人」にとっては、これほど貴重な言葉は、なかなかないと思います。



……長々言いましたが、長年染み付いたモノを覆すのは一朝一夕じゃ難しいです。
これからも性懲りもなく、私は自分を苛むでしょう。

でも、この店長さんの記事のおかげで、苛み続けて、自分を殺してしまうようなことは、
たぶんしなくなったんじゃないかな。たぶんですけど。

「背負える負荷が、人と違っていても、それは当然のこと。」

というごく当たり前だけど、大切なことを、今一度意識できた記事でした。
この店長さんが発信したかった意味とは、きっと全然違うものだと思いますけどね。
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